東京高等裁判所 昭和30年(う)798号 判決
被告人 朴淳泰
〔抄 録〕
検察官の控訴趣意第一点並びに弁護人の答弁書第一項及び第三項(一)(二)の各論旨について。
被告人に対する昭和三十年一月八日附起訴状には公訴事実として、被告人が板倉義雄に対し「覚せい剤」を譲渡した旨の事実が示されているだけでその覚せい剤が覚せい剤取締法第二条所定の覚せい剤のいかなる種類に該当するかを明示していないことは弁護人所論のとおりである。しかし右起訴状記載の公訴事実とこれに対する罪名罰条とを対照すれば、右公訴事実にいう「覚せい剤」とは覚せい剤取締法第二条にいわゆる覚せい剤を指すものであること自ら明かであるし、その覚せい剤が同条所定の覚せい剤のいかなる種類に該当するかは、覚せい剤譲渡罪の構成要件に異同を来すものではなく、かかる事実は立証段階においてこれを証明させても被告人の防禦に著しい不利益を生ぜしめないものと解すべきところ、右起訴状の公訴事実の記載は覚せい剤譲渡の犯罪事実をその日時、場所、譲受人の氏名、譲渡物件が覚せい剤であること、その数量、譲渡の目的、態様等を具体的に明示して、これを他の行為と区別しその同一性を認識されるに十分な程度に特定しているのであるから、覚せい剤譲渡罪の訴因の表示として毫も欠けるところはなく、弁護人所論の如く、更にその覚せい剤が覚せい剤取締法第二条所定の覚せい剤のいずれの種類に該当するやを明示する必要はない。その他弁護人主張の如く右犯罪事実に対する公訴の提起を違法なりと目すべき事由は、記録上些かもこれを発見し得ないから、右公訴を棄却すべき限りではない。而して原判決挙示の証拠によればこの点の原判示事実は優にこれを認めるに足り、記録に徴するも原判決には判決に影響を及ぼすこと明らかな事実の誤認はない。また、弁護人所論の検察官の求刑は、右訴因につきなされたものであること記録に徴し疑を容れないところであつて、公判手続上何等の非違もない。次に、原判決が右訴因に対する認定事実の摘示において被告人の譲渡した物件を単に「覚せい剤」とのみ判示していることも弁護人所論のとおりであるが、原判決がその事実認定に引用した板倉義雄の検察官に対する第一回供述調書その他の証拠によれば所論の譲渡物件は「ヒロポン」と称する覚せい剤の注射液であつたことを看取するに足り、いわゆる「ヒロポン」とは覚せい剤取締法で取締の対象としている覚せい剤でフエニルメチルアミノプロパンを含有する製剤を指すものであることは経験則の教えるところであるから、記録上反証の認むべきもののない本件においては右判決挙示の証拠により覚せい剤取締法第二条にいわゆる覚せい剤の譲渡があつたものと認定しても採証の法則に反するところはなく、これと原判決の適用法条とを対照すれば原判決の判示する「覚せい剤」とはフエニルメチルアミノプロパンを含有する製剤をいうもので、覚せい剤取締法第二条にいわゆる覚せい剤を指称したものであることを知るに難くない。されば原判決は弁護人所論のように被告人が譲渡した物件が同法第二条所定の覚せい剤であるとの事実を確定することなく法令を適用した違法があるということはできない。而して記録によれば弁護人所論の如く被告人は覚せい剤取締法違反罪により確定判決を受けたものであり、板倉義雄に対する右各覚せい剤譲渡罪は右確定裁判前の所犯であるが、右確定判決は被告人が昭和二十九年七月十日から同年九月三十日までの間六十五回に亘り覚せい剤を不法に譲渡し、または所持したとの事実を認定し、これらの所為を覚せい剤取締法違反の併合罪として処断したものであつて、論旨指摘の如くこれらを包括一罪として処断したものでないことは記録に徴し明らかであるから、右確定判決の既判力が本件公訴事実に及ばないことはいうまでもないところであつて、これに対し免訴の裁判をなすべき筋合でもない。弁護人の以上の各論旨はいずれもその理由がない。よつて進んで検察官主張の論旨につき考察するのに、原判決は右公訴事実につき被告人が板倉義雄に対し昭和二十九年九月中旬頃二回に亘り営利の目的をもつて覚せい剤を譲渡した事実を認定し、これに対し覚せい剤取締法第十七条第四十一条を適用し、所定刑中罰金刑を選択して被告人を罰金に処していることは所論のとおりであるところ、右各犯行はいづれも同年六月十二日法律第百七十七号覚せい剤取締法の一部を改正する法律施行後の所為であるから、当然右改正後の同法第四十一条第四項に該当しその所定刑は七年以下の懲役又は情状により七年以下の懲役と五十万円以下の罰金との併科であつて、原判決の如く罰金刑を選択して処断する余地は全く存しないものであること論旨指摘のとおりであり、原判決は法令の解釈適用を誤つたものであつて、その誤が判決に影響を及ぼすものであることは明らかである。されば検察官のその余の論旨につき判断を俟つまでもなく、この部分につき破棄を免かれない。